来民の町は390年前(室町時代)から「渋団扇」の産地として有名であり、四国の丸亀と並ぶ全国で一、二の生産量を競う所でした。大正末期から昭和10年頃にかけては、500万本/年生産しており九州一円はもとより、朝鮮・台湾・満州まで販路を伸ばしていました。
うちわ作りで繁栄していたということで、「野口雨情」もつぎのような詩を残しています。
『嫁にゆかぬか 来民のまちへ うちわ張らせる わしゃゆかぬ』
※うちわを張らせるから、嫁にいきたくないという意味ではなく。当時の来民の町がうちわ作りで栄えていたと言うことを比喩してうたったものだとおもわれます。